空気を読めない人の方が、実は人生うまくいっている・・・?
今の日本においては、【空気が読めること】を良しとし、【空気を読めない人】を悪く扱う。そんな習慣が、まだまだ定着しています。
ですが、本当にそれって問題なのでしょうか?
むしろ空気を読める人を私たち一人一人の集団であるこの社会(集団的無意識)の中で作りすぎたが故に、空気を読むことが出来ない人たちをこの世に創り上げたのかもしれません。
つまりは、
悪者無くして
善人あらず
ということなんです。
では、あなたに質問です。
あなたがもし空気を読める人だとしたら・・・
一体何のために空気を読んで生きているのでしょうか?
答えは様々ありますが、私の過去に抱えていた答えはコレです。
空気を読めるようになることで、
〇気がきく人
〇優しい人だと思われる
〇人から冷たい目で見られない
〇状況に応じて会話ができる
〇不機嫌にさせることがないので、相手から自分が傷付けられない
〇他の人より先回りして行動できる
などのような、損をしないための術を持ち合わせることで自分の心を守りたかった、というのが恐らく私の中の本当の理由です。
でも、この裏側には何があるかと言うと、「人は裏切る生き物なのだ」という前提があり、そして、その先には【誰も自分のことを守ってはくれない】という、自分の人生に対する強いイメージを持っていたのだと思います。
その心の前提のまま、これからの未来を過ごしていては目の前の相手を警戒し、闘いばかりの人生に終わります。ですので、私はその前提をある時変えたのです。
【新しい自分の姿】
空気を読むことは、
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自分の優越感に浸るものでもなく、誰かを蔑むものでもない。
目の前の相手を深く愛するために使うのだ。
という前提に切り替えました。
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すると…空気を読まずに話すことがあるときでさえも私は周囲から愛され、優しく見守られるようになりました。なので、空気を読もうが読まなかろうが「どちらでもいい」と言えるような、そんな自分と出逢い、今の私はとても穏やかに生きられています。
ぜひ、読んで頂いているあなたにもこの世界を味わって頂きたいと思い、このような形でメッセージをお伝えしました。
この【空気を読む】というテーマは、物凄く奥が深いですので、丁寧に扱えば扱うほど、暮らしの質がどんどん上がっていくので、オススメですよ。
日々の暮らしの中で
「どうして私は、空気を読もうとしているのだろう?」
と、日々問いかけ続けてみてくださいね(^^)
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